「7本指のピアニスト」西川悟平さんから学んだこと

仕事では「片付け部長」、プライベートでは「片付けパパ」として「思考の整理・片付け」を研究・実践している大村信夫です。

さて皆さんは「西川悟平」さんをご存知でしょうか?

難病を患い、7本しか指を動かせないながらも、カーネギーホールでの演奏を果たした日本人のピアニストです。
「7本指のピアニスト」で知られ、さまざまなメディアでもご活躍しているのでご存知の方も多いかも知れません。

普段はニューヨークで活動されていますが、来日してコンサートをされます。以前西川さんのコンサートにご縁をいただき行ってましたので、その時に感じたことをお伝えしたいと思います。

 

西川さんのコンサートの様子

西川さんのコンサートは、私が今まで行ったことのあるコンサートとは良い意味で全く違うものでした。西川さんはピアニストなのですが、ピアニストにおける「さだまさし※」と言われるほど、ピアノ演奏の合間にご自身のお話をされます。
※さだまさしさんは、2時間のコンサートで歌うのは2曲だけ、それ以外はお話をしているらしいです(笑)

西川さんのお話ですが、会場がどっと沸くような内容で、ご自身の体験談から得られた本当に素晴らしい話ばかりです。

 

西川さんがピアニストになるまで

そもそも西川さんがピアノをはじめたのは、なんと15歳でした。普通に考えるとかなり遅いですよね。
そのきっかけとしては、仲の良い先輩がピアノを弾くところをみて衝撃を受け、自らがピアニストになりたいと決意したからだそうです。

そして、音大への進学を志したのですが、周りから絶対に無理と言われ続けました。

でも西川さんは「他の人が5時間練習するなら、自分はその倍、10時間練習する」と言って練習し、ついには音大への進学を果たしたのです。

周りの声に惑わされることなく「自分はできる」と言い聞かせたのです。

そして音大卒業後は、一度は和菓子屋さんに就職していましたが、やはりピアニストとしてやっていきたいという思いがあり、ピアノは弾き続けました。
そして大阪で演奏した際、アメリカ人ピアニスト デイビッド・ブラドショー氏の目にとまり、スカウトしてもらったのです。

そして渡米ということになり、3ヵ月の滞在中に、リンカーンセンター アリスタリーホールの大ホールでいきなりデビューし、それ以来ずっとニューヨークで活躍されています。

ピアニストなんてなれないと言われ続けたのですが、「自分はできる」と言い聞かせ、それを実現したのです。

西川さんはそれを「言霊(ことだま)」と言いました。「できない」といえばその通りになるし、「できる」といえばその通りになる。西川さんは何か困難があっても「できる」「自分はラッキーだ」と常に言い聞かせているとのことです。

また西川さんは折に触れて「自分が何かできることはありませんか?」と音楽を通じて何か自分が貢献できることはないかを大勢の人々に問い続けました。

その結果、ついにはカーネギーホールでの演奏まで実現したのです。これは西川さん自身が有名になりたいという欲を捨て、他者貢献を意識した。その結果、自分に運が回ってきたのですね。「情けは人のためならず」なのだと思います。

 

難病ジストニア

そんな西川さんにも苦難が訪れます。ジストニアという難病により、指が動かなくなってしまったのです。そして複数の医者から「ピアノは一生無理」と宣告されたのです。
その時はさすがの西川さんも絶望したのですが、持ち前のポジティブ思考によって治すと決意、リハビリによって7本まで動かせるようになったそうです。

さらに西川さんは、指10本で演奏していた時は、技巧や演奏の派手さで人を魅了しようとしていたことに気づき、7本指になってからは、心で歌い上げるように弾くことを意識したのだそうです。

西川さんは、このジストニアになったことこそが、自分の音楽人生を変えた転機「ギフト」であると言い切りました。

 

西川さんから学んだこと

西川さんにお会いして学んだことは
・「自分に何かできることはないか?」
       と問い続けたこと(他者貢献)
・「できない」という思考を片付けること
・何事もポジティブに捉えること

そんな西川さんが奏でるピアノは、とても素晴らしいものです。

偶然にも私と同じ1974年生まれということもあり、同じ歳で頑張っている西川さんを応援したいと思いました。
ぜひ皆さんも、コンサートに足を運んでみてください、本当におススメです。

 

西川悟平さんのサイトはこちら
https://goheinishikawa.com/

お読みいただきまして、ありがとうございました。


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