私の「ミッション」について
仕事では「片付け部長」、プライベートでは「片付けパパ」として「思考の整理・片付け」を研究・実践している大村信夫です。
大村のミッション
前回の記事では、こんな時だからこそ「ミッション」を見つけることをご提案しました。
今回は、私のミッションをご紹介させてください。
私のミッションは、
『人と人を繋ぐ「ミツバチ」になる』
ミツバチが、いろいろな花をまわりながら、他花受粉して開花を促進するように、私はいろいろな人に出会いながら、人々が自分らしい花(人生の目的/ミッション)を咲かしてもらうための触媒となる。
そして、いろいろな人からミツ(人脈、アイデア、強い、情報、お金など)を集め、それを必要としている人々に届けていく。
ことです。
私が講演会やワークショップをするのも、チャリティーランナーとして走るのも、朝活をはじめとしていろんなコミュニティを企画・運営するのも、このミッションに基づいた行動です。
なので、とても忙しいのですが、とても充実しています。
そして、この活動を通じてどのような世の中になってほしいかというと、
世の中の人たちが、本当にやりたいことができている『ワクワク』した人ばかりになること。
そんな大人が増えれば、子どもたちの夢や希望に対して、やれない理由を考えるのではなく、どうやったらできるかを一緒に考え、応援するようになる。
そんな大人に囲まれて育った子どもたちは、希望に満ちあれ、素晴らしい社会を作ってくれる。
そんな世の中になってほしい。
これこそが、次世代を担う私たちの子ども世代に残せる最大のギフトだと思います。
そんな日を夢見て、私はミツバチ活動を続けています。
パラレルキャリアのススメ
そうは言っても、いつもワクワクしながら働ける大人は少人数です。
生活のためにやりたくない仕事を我慢してやっている人も多いはずです。
そんな人に、自分のやりたいことをみつけて独立して、ワクワクな毎日を過ごしましょうとは、言いづらいです。
なぜかといえば、独立してすぐに成功できる人なんて、残念ながらほんの一握りです。
だからこそ、私はパラレルキャリアを推進しています。
サラリーマンをしながら、もう一つか二つは自分のやりたいこと、ワクワクしたことをしていく。
私は一般的なサラリーマンの立場で、フルタイムで働きながらもパラレルキャリアを実践する誰もが再現可能なメソッドを作り、世の中に還元していきたいのです。
だから私はサラリーマンを続けながら、家事や子育てにプラスして、パラレルキャリアを実践していくための実験をしています。
よく独立しないの?と聞かれますが、独立してしまうとその実験ができなくなるわけですから、サラリーマンをやり続けることを決めました。
でも圧倒的に時間はありません。その時間を捻出するためにお酒をやめ、テレビも見ない生活を選びました。
一般的には損な役回りと言われる「ファーストペンギン」で良いと思っています。
それができるのは、家族や応援してくださる皆さん、そして自分で決めたミッションがあるからです。
次世代を担う子どもたちのために
大人が子どもに与える影響は大きいものがあります。
私は母子家庭で育ちました。そして小学生の時に母から
「ごめんね、母子家庭だから将来銀行員にはなれない」
と言われたことを覚えています。
今の時代こそ考えられませんが(そんなことはないことを願いますが)
当時は母子家庭の子どもはそのような信用のある職業に就けないと言われていたそうなのです。
もちろん私は銀行員になりたいと思っていませんでしたが、なんか透明な天井のようなものができた気がしました。
そのくらい子どもは大人の影響を受けてしまうものなのです。そして親の価値観を押し付けられた子どもたちは幸せなのでしょうか?
宇多田ヒカルさんの歌(Keep Tryin’)で「将来国家公務員だなんて言うな 夢がないなあ」という歌詞があります。
これは宇多田ヒカルさんがテレビで幼稚園児が「公務員になりたい」って言ってるのを見て、「先生」「警察官」みたいに具体的な職種を言わないあたり、この子は親に入れ知恵されてるだけじゃないのかなって思って作詞されたそうです。
「パン屋さんになりたい」とは言うけど、「飲食店経営したい」という園児はいない、とも宇多田ヒカルさんは言っています。確かにその通りですね。
良くも悪くも、子どもは親の価値観に左右されます。子どもはまだまだ「ミッション」等は明確に考えることができません。
だからこそ、我々大人は価値観の押し付けにならないよう、普段から気を付けなければならいところです。
私のミッションの話になってしまったので少し脱線してしまいましたが、改めてこの不透明で先の見えにくい時だからこそ、ご自身のミッションを探す/再認識してみてはいかがでしょうか。
最後に
ミッションに関するドラッカーの言葉をご紹介します。
私が13歳のとき、宗教の先生が
「何によって憶えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。
すると
「今答えられると思って聞いたわけではない。
でも50歳になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」
といった。
補足)
50歳に関してですが、ドラッカーの時代の平均寿命は60歳前後ですから、現代で言えば70~80歳と解釈してください。要するに晩年までにということです。
お読みいただきまして、ありがとうございました。